引き続き糸井重里。
まあ、私の見る目がなかったと言えばそれまでなんだけど、1983年(私、30歳)に始まった週刊文春誌上での「萬流コピー塾」のファンだった私は、当時は毎週文春を買っていた。発売日がくるのを楽しみにしていた。
「萬流」は80年代に何冊か書籍化されて、それもすべて購入した。糸井の本は、「経験を盗め」と「さらに経験を盗め」(アマゾンの注文履歴によると2005年に購入していた)も買って読んだ。これらも面白かった。
すでにそのころ、「ほぼ日刊イトイ新聞」が創刊されていたようだった(1998年創刊)。私は時々サイトに行くくらいで、熱心な「ほぼ日」ファンではなかったが、「相変わらずなんか面白いことやってんな」、みたいな距離感だった。
「ほぼ日」で手帳をはじめとして物販やったりして小金が貯まりだしたのか、私との肌合いが悪くなった。「糸井はお金をがめりだしたのかな」とする私の視界から糸井が消えて久しい。
「おいしい生活」で間接的(直接かな?)に糸井を起用したセゾングループ総帥の堤清二も、「東大細胞」に属する筋金入りの活動家だったのだから、パシリ(本人曰く、セクトの幹部の考えた立看の文言を独特の書体で清書する担当)だったとはいえ元全共闘の糸井が「経営者」になってもいいと思う。しかし、昨今の彼を見ると、糸井は立派な人間ではなかったようだ。
昨日知った糸井の2011年のツイート内容に少なからず驚いた。しかし、少し前に神戸に立てた巨大なクリスマスツリーのイベントに糸井が関与していると知っていたので、免疫ができていた私は、そういうことかと再確認した程度のことだった。
小沢一郎の「郎」を含めていいなら、民主党代表選の立候補者って、「海」の「前」で「馬」「鹿」「野」「郎」って憶えられるな。これ、試験に出ても安心ですね。
— 糸井 重里 (@itoi_shigesato) 2011年8月26日
◆糸井 重里 @itoi_shigesato
小沢一郎の「郎」を含めていいなら、民主党代表選の立候補者って、「海」の「前」で「馬」「鹿」「野」「郎」って憶えられるな。これ、試験に出ても安心ですね。
私はこのツイートのことを昨日まで知らなかったが、文化人が時の権力者をバカにするのはよくあることだが、私が民主党の支持者だったことを割り引いたとしても、東日本大震災の復興のさなかのこの嘲笑的な発言には怒りさえ覚える。堤清二も激怒するだろう。
セゾングループの瓦解とともに、糸井の内的変化も促進されたのかもしれない。
いま、遅々として進まぬ政府の新型コロナ対策にいらだつ国民に対して「責めるな。じぶんのことをしろ。」とツイートするのだから救いようのないクソ爺になり下がった。
震災時に民主党を嗤ったように、今の安倍政権を私のように徹頭徹尾非難せよとまでは言わないが(ほんとはそうしてほしい)、せいぜい自分の支持する政権政党をハラハラしながら見守るぐらいにしとけよ。
ツイッターでの糸井の「か弱き庶民」への反笑いのつぶやきを見て、草葉の陰で堤清二は泣いているだろう。
「若い君をセゾンに呼んだのは、将来こういうことをする人間ではないと見込んでのことなんだよ、信じていたからなんだよ」と堤は嘆いているに違いない。
堤清二も私も見る目がなかったのだろうか。何とも哀しいことだが、これが現実なのだ。