初めてコーラを飲んだ時のことをよく覚えています。
昭和30年代後半、小学校の4~5年生だった私は、父親とカウンターに座った小さな喫茶店で、生まれてはじめてコーラを飲みました。
「クリーム・コーラ」(当時はコーラ・フロートなどとは言わなかった)を注文したのですが、クリーム・ソーダの味をイメージしていたので、一口飲んでイスからひっくり返りそうなくらいびっくりしました。
「これは、何かの間違いでは?」というような味がして、大変ショッキングな体験でした。
初めて飲んだスコッチの銘酒「ラガヴーリン」(楽天の購入履歴を見ると2007年に購入していました)体験も、相当ショッキングでしたが、初コーラの体験にはおよばなくて、田舎の少年には強烈な体験でありました。
テレビでおいしそうにコーラを飲んでいるCMに騙されたわけですが、コーラは大人の飲み物でした。
で、ツイッターのタイムラインに流れてきた「初めてコーラを飲んだ女の子とその映像」が以下のものです。
初めてコーラを飲んだ女の子 pic.twitter.com/SRDGxe4IFm
— 最多情報局 (@tyomateee) November 9, 2019
何度見返しても面白くて素晴らしくて、笑いが止まりません。
私の初コーラの時は、物心ついていましたのでショックを隠そうと努力していましたので、こんな派手なリアクションは取れませんでした。
この女の子はどこの国の子かわかりませんが、外国映画の俳優たちの名演技は、こういう表現力をつかさどるDNAや、育った環境による体の表現方法が身についているからなんだということを再認識させられます。
古代から島国に息づいてきた日本人の表現力は、こういう一面を持ちませんので、たとえば、デモによる時の政府への抗議といった表現力には醸成してこないのでしょう。
いま、時の政府への抗議デモの真っ最中の、中国人やフランス人と日本人の表現力はかなり違うようです。
シャイなのか暗いのか、私もかつてそうだったように、好きな人に明るく好きですと言えなくて、ストーカーのような表現しか取れないのも日本人の特性かもしれません。(あっ、私はストーカーにはならなかったですが。)
表現力とはあまり関連しないかもしれませんが、日本人の政治への関心度は、驚くべきもので選挙の投票率にそれが現れています。私は選挙権を獲得して46年間一度も投票を棄権したことはありません。
それにしても、日本の時の政府はとんでもない一団ですので、整然と歩くだけでいいのでデモで抗議したいものですし、選挙があれば何が何でも投票に行きたいものです。
シャイで根暗な日本人たちよ、いま、怒りを表現するべきときであります。