遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

取り替え子(チェンジリング)/大江健三郎

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取り替え子(チェンジリング) 講談社文庫
大江 健三郎 (著) 価格: ¥650 (税込)


京都駅の待合室、30年くらい前のこと。

隣に居合わせた中年の男が、話しかけてきた。

その男の膝には、風呂敷包みが乗っかっていた。

中身は、書き上がった小説のようだった。


小説を書いて編集者に持ち込むのだけど、

どうにも、本になりそうもない作品を、その男は書き続けているようであった。


編集者曰く、この男の小説はエロティックな要素が足りないのだそうな。

その頃私が読んでいた、大江健三郎高橋和巳にエロティックな場面は登場しない。


風呂敷包みの中のものを読ませられるのじゃないか、と心配しながら、

違う編集者にも読んでもらうことも考えたほうがいいのではと、

無責任なアドバイスをしたような気がする。



取り替え子(チェンジリング)は、

小説家古義人(こぎと=大江健三郎)と、その妻千樫(ちかし)と、

妻の兄で、小説家とは高校の頃からの親友である、吾良(ごろう=伊丹十三)が

主な登場人物である。


伊丹十三の「女たちよ」を私のブログで紹介したときに、
http://blogs.yahoo.co.jp/tosboe51/13734809.html

気になった小説であり、その後すぐ読んでみた。



小説は、吾良の投身自殺から始まり、

彼らの高校時代=松山時代に遡ったり、

また近い時代に来たりの、繰り返しとなる。


どこまでが事実な小説であるのか、わからないが、

主人公3人の来し方は、大変な道程である。



数々のエピソードがふんだんにあり、

私はこの小説に夢中になり、電車を降り損ないかけたこともある。


古義人と吾良の、いろんな意味で危うい友情は、

出会いの高校時代から、吾良が身を投げる日まで、

否、その後もずっと、不思議な世界を作りだす。



どこまでが事実な小説あるいは映画であるのか、わからないが、

名前も顔も世にさらして、それを創作するのは大変なことであろう。

古義人と吾良は、創作を通じて猛烈な生き方ができる人間であった。



30年前に京都駅で遇った風呂敷包みの男に、今なら言える、

「小説を書く」という心意気が、誰かに伝われば本になる。